長野地方裁判所 昭和39年(行ク)2号 決定 1965年2月27日
申請人 唐沢庄次
被申請人 飯田市長
主文
申請人の申立を却下する。
申請費用は申請人の負担とする。
事実
(申請の趣旨)
一、被申請人が昭和三九年三月三一日付をもつて申請人に対して行つた解雇処分は昭和三九年(行ウ)第七号解雇処分取消請求事件の判決の確定するまでその効力を停止する。
二、申請費用は被申請人の負担とする。
(申請の理由)
一、申請人は昭和三六年一〇月一日飯田市に雇傭され、土木課失業対策係として失業対策事業の設計、現場監督、生産設計等の仕事に従事し、昭和三七年四月一日付をもつて被申請人より「技手見習を命ずる。日給三四〇円を給する。土木課勤務を命ずる。雇傭期間は昭和三九年三月三一日までとする。」旨の辞令の交付を受け、次いで昭和三七年一〇月一日付で「技手を命ずる。」との辞令の交付を受けて、その後引き続き同係に勤務して来た。ところが、被申請人は申請人に対し、昭和三九年三月三一日付で、「期間満了によりその職を解く。」との辞令を交付し、これをもつて退職を命じた。
二、しかし、被申請人のなした右退職処分には次のような違法がある。
すなわち、申請人は前記のとおり昭和三六年一〇月一日、地方公務員法第一七条第一項にもとづき、期限の定めなく探用されたもので、仮りに採用日が同日でないとしても、遅くとも昭和三七年四月一日付辞令をもつて、同日前同様の条件で採用されたものである。もつとも、右辞令には、雇傭期限を昭和三九年三月三一日までとする旨の記載があるが、この期限を条件付採用期間とみるならば、地方公務員法第二二条第一項が、その期間を最長一年と規定している趣旨に反し、これを臨時的任用の趣旨と解するとしても、同条第五項が臨時的任用職員の雇傭期間を最長一年以内としている規定に反し、雇傭期限に関する右条件は無効である。また、これを二年間の期限付採用であるとしても、地方公務員法は、地方公務員が地方住民全体の奉仕者である地位に着眼し、その地位の得喪、職務の基準について詳細かつ厳格な規定を設け、安んじてその職務に精励できるよう、その地位を保障しているのであるから、その趣旨にそつてこれを厳格に解釈すべきところ、同法は前記法条の規定からしても、期限付採用なるものを予定しているとは思われない。被申請人はそれが許される根拠として、労働基準法第一四条を援用するが、同条は本来強制労働を禁止する趣旨の規定であつて、期限付採用の根拠となるものではないのみならず、地方公務員法が前記の趣旨のもとに制定された特別法である点からして、地方公務員の労働関係には一般法たる労働基準法は、地方公務員法の前記趣旨に反する限りにおいて、その適用が排除されているというべきである。なお、期限付採用に関する右主張が仮りに理由がないとしても、申請人は前記のとおり昭和三七年一〇月一日付の辞令の交付を受けたことにより、遅くとも同日以後は期限のない技手として採用されたものである。
以上いずれにしても、申請人は退職処分を受けた昭和三九年三月三一日当時においては、地方公務員法第二二条第一項により、六ケ月の条件付採用期間を経過し、既に正式採用となつているから、同法第二七条第二項により同法第二八条第一項、第二九条第一項各号に規定する場合のほか、その意に反して免職させられることはないものであり、従つて前記退職処分はその法律上の根拠を欠き、違法である。
三、申請人は地方公務員法第四九条により昭和三九年五月二一日付で同委員会に対し審査の請求をしたが、三カ月を経過するも裁決を受けることができない。そこで、申請人は被申請人を被告として同年九月四日長野地方裁判所に対し本件解雇処分取消の訴(同裁判所昭和三九年(行ウ)第七号)を提起した。
四、ところで、申請人はこれまで飯田市職員として毎月一六、六八〇円の俸給を受けて生活を維持してきたところ、本件退職処分によつて収入の途を絶たれ、現在日雇労務によりわずかの収入を得ているが、髄間板ヘルニア症に罹つているので、健康上長くこの肉体的労働を継続することができず、また妻は幼児の養育に手をとられて働けず、父とは昭和三九年八月頃別居して経済的援助を受けることも困難となり、といつて他から借財しうる目的もない状態である。しかも、申請人はこれまで飯田市職員としてその服務基準に従つて勤務に精励し、今後も同市職員として勤務することを望んでいる者であるから、本件退職処分によつて申請人の人格と名誉が侵害されたことにもなる。このような本件退職処分によつて生じた損害は回復が困難であり、しかもその損害を避けるにつき緊急の必要がある。
五、よつて、申請人は前記本案判決の確定に至るまで本件退職処分の効力の停止を求める。
(申請の趣旨に対する答弁)
主文同旨
(申請の理由に対する答弁ならびに主張)
一、第一項の事実は申請人が従事した仕事の点を除き認める。
飯田市は昭和三六年六月に二百数十年振りといわれる梅雨前線豪雨により著しい災害を受けてその復旧工事に当つていたが、申請人はこれと直接間接に関係のある測量作業、失業対策事業の現場監督補助、実積精算等の仕事に従事していたものである。
二、第二項の主張は争う。
被申請人は申請人を昭和三六年一〇月一日付で昭和三九年三月三一日まで地方公務員法第二二条第五項にもとづく臨時的任用を行い、同年四月一日付をもつて雇傭期限を昭和三九年三月三一日までとして同法第一七条第一項にもとづき期限付任用を行つた結果、申請人は昭和三七年四月一日より同年九月三〇日までは技手見習として同法第二二条第一項の条件付採用、同年一〇月一日より昭和三九年三月三一日までは正式採用となつたものであつて、昭和三九年三月三一日期限の到来により自然退職の効果が生じたものであり、そこには何らの行政処分は存在しない。
すなわち、飯田市は昭和三六年六月に受けた前記災害の復旧工事を行わなければならなかつたが、これに対する国の財政的補助が昭和三六年度から昭和三八年度までの三年間に限られていたので、右事業を昭和三八年度末までに緊急的に終了させなければならない状況にあつた。しかし、当時飯田市においては、土木、農林両課の配置職員数では到底右事業を行うことができず職員の急増を必要としたが、他方事業終了後に生ずる財政的制約を考慮すれば恒久的職員を増員することはできない状態であつた。そこで、飯田市は、右復旧事業を進めるため、各部課の職員の配置転換を行うとともに、地方公務員法第二二条第五項にもとづく臨時的任用を行つた。ところが、その後右臨時的任用職員のうちには待遇、身分の不安定等を理由に退職を求める者が現れ、災害復旧事業の円滑な遂行に支障を来すおそれが生じた結果、飯田市は、右臨時的任用職員らが当初より比較的短期間に終了する災害復興事業に従事するために採用されたものであるという前記事情を十分了解していたので、申請人を含む臨時的任用職員一一名の同意をえて同人らに対し、昭和三七年四月一日をもつて前記趣旨のもとに期限を昭和三九年三月三一日までと限つて期限付採用を行つたものである。このような期限付採用が許されることは、労働基準法第一四条の趣旨から明らかであつて、地方公務員に同条が適用されることは地方公務員法第五八条が労働基準法のうち適用しない条項を明記していることからも明らかである。また、被申請人が昭和三七年一〇月一日付辞令を交付したのは、これによつてあらたな採用をした趣旨ではなく六ケ月の条件付採用期間が経過したので、本人の自覚を促がすとともに、人事管理上職名を変更し、給料を飯田市職員の給与に関する条例に定める行政職給料表五等給四号俸に格付けする必要から、飯田市の慣例として行つたに過ぎず、ここにおいてあらためて期限の定めない雇傭契約の合意がなされたものではない。
三、第三項の主張事実中、申請人がその主張の訴を提起したことは認める。
四、第四項の事実中、申請人が本件退職処分を受けた当時その主張の俸給(但し、通勤手当九〇〇円を含む。)であつたことは認めるが、その他の事実は知らない。
申請人は本件退職処分の後飯田市土木課長の世話で前記期限付任用職員であつた戸田多門とともに長野県建設技術コンサルタント協会下伊那支部へ就職できたにもかかわらず、本件退職処分を争うことのみのために勝手に退職して自ら収入の途を放棄した。右戸田は飯田市より支給されていた俸給よりも多額の給与を受け満足して通勤している。また申請人は現在上郷村小林木工製作所に勤務しており、他に全く収入の途がないわけでなく、しかも申請人の両親は、上郷村において中流程度の農業を営んでいる。
(疎明関係)<省略>
理由
一、申請理由第一項の事実は、その職種の点を除き当事者間に争いがない。そこで、申請人が被申請人に採用された経緯についてみるのに、申請人の審訊の結果および疎明資料を綜合すれば、以下の事実を一応認めることができる。
すなわち、飯田市は昭和三六年六月に二百数十年ぶりといわれる梅雨前線豪雨により大災害を受け、その復旧工事を行う必要に迫られたが、これに対する国の財政的援助が昭和三六年から昭和三八年までの三年間に限られたので、右事業を昭和三八年度末までに緊急に終了させなければならない状況に立ち至つた。このため当時飯田市においては、土木、農林両課の配置職員数の急増が要求されたが、右事業終了後における飯田市の財政的制約を考慮するとき恒久的職員を採用することは困難な状態にあつた。そこで、同市は全職員のうち土木技術に関し経験を有する者を右復旧事業へ配置転換を行い飯田市出身者で他県他市へ技術職員として就職していた者のうち帰郷就職希望者をも募集採用するなどの措置を講じるとともに昭和三六年一〇月一日付をもつて地方公務員法第二二条第五項の規定にもとづき相当数の職員の臨時的任用を行い、更に右臨時的任用職員らのうち申請人を含む一一名の了解をえて同人らを右復旧工事の完了まで復旧作業に従事するために雇傭する趣旨のもとに、昭和三七年四月一日付をもつて期限を昭和三九年三月三一日までと限つて期限付採用を行つた。これら期限付採用職員に対する給与は特別会計災害復旧費より支弁され、災害復旧工事の完了とともに特別会計は閉鎖されその財源も消滅した。申請人は右期限の到来によつて退職しなければならないことを予期していたのでこの到来に先立ち昭和三八年一二月一〇日頃、飯田市社会福祉協議会職員一名の採用試験を、また飯田市が昭和三九年度から実施する今宮地区区画整理事業の職員二名の採用試験をそれぞれ受験したが、いずれも合格できずに終つた。そして、申請人は昭和三九年三月三一日前記退職の辞令を異議なく受領し、同年五月一二日退職手当の支給を請求するとともに、同月一八日係員から右手当を交付する旨の通知を受けると、直ちに同係員のもとに出頭し受領の意思を表示した。また、申請人は退職後である昭和三九年四月一日、同年五月末頃発足する予定の長野県建設技術コンサルタント協会下伊那支部への就職の意思を表示し、同年四月二日よりその発足までの間飯田建設事務所へ臨時的任用職員として採用され、同年五月一日より出勤していた。
もつとも、昭和三七年一〇月一日付辞令には雇傭期限の記載がないが、前記のとおり昭和三七年四月一日申請人を採用するに際し、その雇傭期限が昭和三九年三月三一日までと定められていたことは申請人において承知していたことであり、右辞令の交付は六月の条件付採用期間が経過したので本人の自覚を促がし給与関係を明確にする意味で飯田市が慣例として行つているものに過ず、これをもつてあらためて申請人を採用したものとは認められない。
以上の事実が一応認められるのであつて、この事実によれば、申請人は昭和三七年四月一日飯田市より、雇傭期間を二年間すなわち昭和三九年三月三一日までとすることを了承して採用され、同年一〇月一日右期限付のまま正式採用となつたものということができる。
申請人は、右のような期限付採用は、地方公務員法に規定がなく、同法の立法趣旨に照らして許されないから、これを期限の定めない採用とみるべきであると主張する。そして、なるほど地方公務員法の下において、職員の期限付採用については法律に別段の定めはなく、同法が条件付採用制度をとり、特に臨時的任用につき要件、期間を限定し、分限および懲戒免職の事由を明定している(二二条、二八条、二九条参照)ことに徴すれば、職員の任用は原則として期限の定めのないものであることを法の建前としているものと解することができる。しかし、右法の建前は職員の身分を保障し、職員が安んじて職務に専念できるようにするためのものであるから、職員の期限付任用も、本件の如く一定の期間内に完了すべき大規模な復旧工事のためその期間中に限り通常以上の職員を必要とし、その期間経過後はこれを採用しておく財政的裏付もないことが当初より判明しているような場合、その職員がこの事情を了解し、右期間内に限り採用されることを承認した場合には、特に法の規定がなくても許されるものと解するのが相当である。
そうであるなら申請人は昭和三九年三月三一日の経過により退職になつたものというべきであるから、その際交付した前記退職の辞令は単なる通知行為と解するを相当としそこに行政処分があつたものというのは困難である。そうだとすれば、これを一ケの行政処分とみて、その効力の停止を求める本件申立はその対象を欠き許されないものといわなければならない。
二、また、申請人は退職をしたことによつて回復の困難な損害を生じ、しかもその損害を避けるために緊急の必要があると主張するけれども、申請人の職務は飯田市職員として上司の命にもとづいて前記仕事に従事し、毎月一六、六八〇円の俸給により生活を維持していたに止まることが疎明されるから、仮に申請人が今後も飯田市職員として勤務することを望んでいるからといつて、本件退職処分によつて申請人の蒙つた損害はもつぱら俸給を受ることによる利益を喪失したに止まりそれ以上の損害を受けたものとは認められないところ、退職前後の同人の前記行動をも考え合せれば、このことのみをもつてはなおいまだ回復の困難な損害を生じ、これを避けるために緊急の必要があるとはいい難い。
三、以上いずれにしても本件申立は理由がないからこれを却下することとし、申立費用につき、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり決定する。
(裁判官 田中隆 千種秀夫 福永政彦)